第2回
大和田遺跡 〜 銅鐸と弥生時代の門真
宇治原 靖泰 (市史編さん課)

 昭和38年に京阪大和田駅の工事中に銅鐸が3個出土し、出土地は、大和田遺跡に指定されています。
 銅鐸は弥生時代に造られ、まつりに使ったと考えられていますが、古いものは鳴らして音色を聞き、新しいものは金色に輝く姿を見たのだと説明されています。
 大和田の銅鐸は今から約2000年前に造られた音色を聞く銅鐸で、高さは20cm余りの小型のものです(大きいものは1.5mくらいあります)が、保存状態がよく貴重なものです。
 当時の門真は現在の京阪線付近が細長い陸地で、南側には広大な河内湾があり、銅鐸の出土した場所は、河内潟の岸にあたると考えられます。
 大阪市の森小路遺跡から守口市の長池町遺跡・橋波西之町遺跡、門真市の普賢寺遺跡・古川遺跡・大和田遺跡・と弥生時代の遺跡をつないでいくと、河内潟に面した当時の陸地がみえてきます。



宇治原 靖泰さん プロフィール

1957(昭和32)年4月12日生まれ、滋賀県彦根市出身、奈良大学文学部史学科考古学専攻卒業、大阪府教育委員会、東大阪市文化財協会を経て、昭和60年より現職。(うじはら やすひろ)


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