八ッ場ダム建設予定地に行ってきました

門真市職員労働組合 執行委員長 西本 孝雄

      

  民主党新政権が八ッ場ダムの事業中止を明言し、話題となっている八ッ場ダム建設予定地に、2009年10月15日行ってきました。

 10月14・15日に全国市町村職員共済組合連合会の全国理事研修会が群馬県高崎市内で開催され、大阪府市町村職員共済組合理事をしている私が研修会に出席し、その帰りに立ち寄ってみたものです。

 八ッ場ダム(やんばダム)は利根川の主要な支流である吾妻川中流部、群馬県吾妻郡長野原町川原湯地先に建設が予定されていました。

 2015年(平成27年)度の完成予定の中流の吾妻渓谷に、半世紀以上前に国によって計画されました(1952年(昭和27年)に計画発表)。

 高崎駅からJR吾妻線に乗って、1時間15分、最寄り駅の川原湯温泉駅にたどり着きました。

   

         「八ッ場あしたの会」HPより転載 

             

           「川原湯温泉観光協会」HPより転載

 

ダム本体工事は始まっていない

  川原湯温泉駅を降りて、ダムサイト建設予定地に向かうと、下の写真のコンクリートの建造物が見えてきました。しかしテレビや新聞で報道されている工事の姿は見当たりません。 

     

  名勝・吾妻渓谷の中にあるダムサイト予定地。このコンクリートの建造物はダム本体ではなく、ダム本体工事を始めるために川の水を迂回させる仮排水トンネル入り口。後方の岩山の間にダムの壁が聳える予定だった。

   

 後日調べてわかったのですが、テレビや新聞で報道されている工事(下の写真)はダム本体工事ではなく、ダム建設による水没される道路の付け替え国道と付け替え県道を結ぶ橋(湖面二号橋)であることがわかりました。ダムサイト建設予定地よりも川の上流にあります。

 ダム工事中止のシンボルとしてよく報道されているので、ダム本体の工事と勘違いして、工事が既に始まっていると錯覚していました。

 

 
  湖面二号橋の工事 「八ッ場あしたの会」HPより転載

 大阪に帰って、このことを職場の人や知人に話すと、私のような誤りをしている人がほとんどでした。

 ダムによって水没する道路や住宅の代替地の工事は、ダム本体工事の中止された現在においても、工事がいたるところでされていましたが、ダム本体の工事は全く着工されていないのです。

ダムの完成予想図

 ダムサイト建設予定地の横の国道145号に、ダムの完成予想図が描かれている看板がありました。ダムの巨大さ、水没する地域について知ることができます。

 

 

 国道145号も、JR吾妻線もダムが完成すると水没

   

        「川原湯温泉観光協会」HPより転載

  ダムが完成されると写真の点線までが湖面となり、川原湯温泉はダム湖の底に沈みます。

ダムは総貯水量1億750万m3

      高さ(堤高)  116メートル

            幅(堤頂高) 336メートル

ダムサイト予定地の下流にある吾妻渓谷

 ダムサイト予定地の下流には、「関東の耶馬溪」と称される名勝、吾妻渓谷があります。吾妻渓谷の上流部1/4地点がダムサイト予定地です。渓谷上流部は八ッ場ダムによって完全に水没することになり、ダム下流も川の流れの変化によって大きく様相を変えることになります。

 また、水没予定地周辺は、丸岩、堂岩、王城山などの山々が連なり、渓谷にすぐるとも劣らない美しい景観に恵まれた地域です。吾妻川が長い歳月の間に造り出した自然は、一度ダムによって破壊されてしまえば、二度と元に戻ることはありません。

 この渓谷も歩いてみましたが、紅葉はまだでしたが、素晴らしい景観でした。

 

  右上の赤い橋が、吾妻渓谷の八丁暗がり・鹿飛橋

 

 

名湯として全国的に名高い川原湯温泉

 ダムが当初計画通りに完成すると名湯として全国的に名高い川原湯温泉街をはじめ340世帯が完全に水没します。川原湯温泉は鎌倉時代、源頼朝によって発見されたと伝えられる長い歴史をもつ温泉。 古くから、若山牧水をはじめ多くの文人墨客に愛されて来ました。

この川原湯温泉街にも行ってみましたが、移転計画が進んだためか、人通りも少なく、旅館も建て替えずに改修しながら営業されていました。

現在の主人で第16代目といわれる山木館

名主、又兵衛により慶長年間に創業され、16代にわたり家業を営んで来ました。

昭和初期には、絶大な人気を博した「のらくろ」の作者・田河水泡先生が滞在され、原稿を当館から講談社へ送っていました。

 

 川原湯温泉には三つの共同温泉があり、上の写真は「王湯」

 この「王湯」に私は入浴してみました。ぬるっとして、とてもよい温泉でした。

 

 

 温泉街に掲げられた看板。住民の期待があります。

 温泉街にあるおみやげ店「お福」の前にはダム推進計画の署名台が置かれていました。感じのいい店の年配のおばさんが「いらしゃいませ」と声をかけてきました。

 半世紀以上にわたって、住民のダム計画反対の運動を自民党政治がお金と権力で踏みにじる中で、住民がダム受け入れを判断していました。

 移転が進んで町が一時的にさびれる過渡期の状況に置かれている地元住民の間では「『この中途半端な状況から早く抜け出したい。国の政策に逆らうことは不可能。ダム事業を少しでも速く進めることでなるべく早い生活再建を図るしかない』と考えていたのに、またもや国のダム建設中止の頭ごなしの押し付け。もういいかげんにして欲しい」という意見が強いのでしょう。この問題の複雑さと歴史を考えさせられました。 

住民合意で解決すべき

 国の政策変更で暮らしが左右されることへの住民の怒りは当然です。新政権は「マニュフェスト至上主義」に走るのではなく、住民自治の立場に立って、住民への真摯な謝罪、ダム建設中止・保障措置と今後の地域振興策についての住民への丁寧な説明、そしてトップダウンではなく、住民と合意をえながらこの地域の振興策を確立すべきでしょう。

 大阪に帰ってきて、住民団体「八ッ場あしたの会」 のHPを見ると大変参考になりました。八ッ場ダム計画の問題点や「八ッ場ダムを中止した方が高くつく」「八ッ場ダムはすでに7割もできている」などのマスコミ報道の誤りなどを「八ッ場あしたの会」HPに掲載しています。


 ぜひ見てください。 

 

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