文化住宅の街から 地方は第2部

国保滞納あえく企業城下町

病の娘、痛みを我慢

   2006年7月7日付「朝日新聞」より

 松下電器産業の企業城下町として知られる大阪府門真市。高度経済成長期以降、膨らむ働く人たちを受け入れてきたこの街がいま、国民健康保険料の滞納の多さにあえいでいる。

 門真市は「市役所です。国民健康保険のことで寄せても らいました」

 5月29日夜、松下電器産業本社のほど近く。文化住宅が立て込む街並みで、門真市保険収納課の西政道課長(55)の声が響いた。

 保険料を滞納する市民の自宅を職員が集金に歩く夜間徴収。この晩、2時間で14世帯を訪ねたが、納付を約束してくれたのは4世帯だった。

 「できることはすべてやらないと、全国最低は返上できない」


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 門真市   76%
 全国平均  90%


   徴収できた保険料の割合を示す「収納率」の03年度の数字だ。市町村別にみる
と、門真市は被災地の三宅村(東京都)を除き全国最下位だ。

 松下のお膝元(ひざもと)として発展した門真市は、高度成長期に爆発的に人口が増え、その受け皿となった文化住宅が広がる。建設業などに携わる自営業者も多く、国保加入世帯は約3万。全世帯数の5割
を超えている。

 滞納者が多く、同市の国保財政の赤字は06年度見通しで約51億円。10年で100倍以上に膨らんだ。

 収納率向上に一丸で取り組もうと市は4月下旬「国保事業特別対策
本部」を設置した。

 電話や訪問での催促、滞納者の財産差し押さえ……。対策リストには、長期滞納者から保険証を取り上げ、窓口で医寮費の全額自己負担を求める資格証明書の交付増も含まれていた。


 全国の資格書の発行数(05年度)は約31万9千世帯。10年間で6倍に急増した。背景には、資格書の発行が00年度から自治体に義務づけられたこ
とがある。


 門真市はそれまで発行を避けてきたが、義務化の翌01年度から発行を始めた。初年度の対象は305世帯だった。


 その一人、プラスチック加工工場を営む男性(68)は01年秋に資格者を受け取った。
 「この証で診療を受けるときには、診療費用の全額を支払ってくださ
い」と記載された資格者
を手にした時、「家族丸ごと、ついに国に切り捨てられたか……」との思いがこみ上げた。

 夫婦と長女(33)の3人で切り盛りする工場は、中国や東南アジアの安価な製品に押され、80年代後半から受注が滅り始めた。今は最盛期の半分程度。年間の売り上げは約2千万円から600万円に滅り、経費を差し引くと手元には180万円しか残らない。
 95年から、当時年約24万円だった保険料の滞納が始まった。「払えるものなら払いたいが、とても余裕がない」という。


 長女は慢性的な頭痛に悩み、ぜんそくの持病もある。「でも、気を使っ
ているのか、病院に行きたいとは一度も言ったことがない。父親として申し訳ない」

 門真市に住むプラスチック加工業の夫婦は、 朝7時半から夜8時すぎまで働く。仕事が減り、3台の工作機械のうち、動かしているの は2台だけだ=高橋正徳撮影


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 それでも門真市の資格書の交付数は、他都市と比べて多いわけではない。昨年度は滞納世帯の6%に交付したが、大阪府内では、東大阪市の26%を筆頭に10%を超える自治体は七つある。


 どの程度の滞納で資格書を交付するか。さじ加減はそれぞれの自治体にまかされている。


 門真市役所1階。国保の相談窓口に5月「被保険者各位」と書いた紙が張り出された。来年度から資格書などの対応を強化するという通告だっ た。


 「いくらかでも払う人には交付しなかったが、制度の公平性、国保財政維持のためには厳しさも求められる。しかし、命綱を切ってしまうことにならないか」。公平性と保険証の重さの間で西課長は揺れる。


 朝日新聞の調べでは、資格書による受診抑制の末、亡くなった人は、00年以降、全国に少なくとも21人いる。


 保険証を取り上げる基準をどうするか。来年度からの門真市の「命の値段」は、まだ決まっていない。


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  「地方は」は3月の「限界集落から」に続き、国保滞納を通して、都市部に暮らす人に何が起きているのかを報告する。
(この連載は金成隆一、石前浩之、編集委員・神田誠司が担当しま
す)



 キーワード


文化住宅 

 住宅が不定した高度経済成長期に、大都市圏で大量に建設された2階建ての木造集合住宅の関西特有の呼称。

 1棟は10戸前後で、通常3〜6畳の2室と台所、トイレ付き。現在の家賃は、1万円台から高くても4万円台まで。大阪府 内では門真市と豊中市の庄内地区が集積地として知られる。


大阪府門真市 

 大阪市の北東に隣接する衛星都市で、面積12平方`メートル、人口は約13万4千人。旧門真町が56年に周辺3村を編入合併し、63年に市制を施行。

 高度経済成長期に人口が急増し、65年の国勢調査では全国一の増加率を記録した。60年の約3万2千人から71年には14万人を突破した
が、その後の変動は小さい。松下電器産業が33年に進出した。