わが町にも歴史あり・知られざる大阪

 西三荘  門真市・守口市

2010年4月15日付「毎日新聞」より

 

 地名にない駅名、なぜ? 

 2市の境界線上に、開業時互いに綱引き
  春らんまん。気分も新たに、久しぶりに大阪市内を出よう。大阪案内人の西俣稔さんと、京阪西三荘(にしさんそう)駅のホームで待ち合わせ。この駅がなにか?

 「普通、駅名は町名から付けるんやけど、西三荘は地名にないんです」。地図を見ると、駅を守口市と門真市の境界線が突っ切っている。門真市側は本町、守口市側は橋波東之町で、確かに西三荘という地名はどこにもない。

 この駅は1975年3月に開業した。目の前に松下電器産業(現パナソニック)の工場などがあったから、京阪電鉄は開業まで、仮称を「松下前」と名付けていた。当時の記事(他社のだが)によると、門真市は「新駅名も松下前駅に」と要望したが、京阪は「一企業の名を冠するのはよくない」と拒否。それではと、門真市が「西門真駅」を提案すると、守口市は「東守口駅か橋波駅」と対抗し、綱引き状態とあいなった。

 京阪が「橋波本町駅」という折衷案を出すも、両市とも折れず、そこで京阪がひねり出したのが「西三荘」だった。「『松下幸之助さんの別荘でもあったんちゃう?』って言う人もおったけど、違います。西三荘とは、新駅の下を流れている用水路の名前なんです。知恵者がいたんですな」と西俣さん。

 両市とも「それなら仕方なかろう」と、駅名が決まったのだが、用水路の名前はそんなに知られてはいなかったので、開業当初は「西三荘ってなんや」と問い合わせが相次いだという。

 下を流れる用水路の名で決着
  改札を通って駅前に出る。電車の高架以外に目立ったものはなく、お店がポツポツとある程度だ。西俣さんが高架の下を通る道路上で、「この下を西三荘水路が流れてるんです」。その道をぶらぶら南へ歩くと、植栽された遊歩道が現れた。「西三荘ゆとり道」は、97年、水路上に整備された。花博記念公園まで1・85キロ続いている。

 下を流れる水路は1959年に用水路として整備され、79年に都市下水路となった。正式名称は「西三荘都市下水路」といい、守口市の大日町のあたりにある府庭窪浄水場から南下し、鶴見緑地を経て、大阪市鶴見区で寝屋川につながっている。全長約6・6キロ。

 もしも駅の開業時に下水路だったら、西三荘は駅名になっただろうか。浄化した水を流しているとはいえ、下水路はイメージが良くないし−−などと考えてしまう。勝負ごとに「もしも」は禁物だが、歴史の「もしも」を想像するのは楽しみである。

 西俣さんの解説。「このあたりは田園地帯で、水路は江戸時代から流れていて、明治〜昭和の時代に改修されたんです。では、なぜ西三荘というか?」

 荘という字から察するに、荘園だったとか? 「正解!」。戦国時代末期、門真庄(今の門真市)、九箇庄(寝屋川市)、五箇庄(守口市)が存在した。「この三つの荘園をカバーする水路で、荘園の西を流れていたから西三荘というわけ。だから、読み方は『にしさんしょう』が正しいんです」

 先の新聞記事によると、駅の開業後に読み方の正解がわかったが、京阪側は「もう変更できない」として、「にしさんそう」で通しているという。見過ごしてしまいがちな駅名一つにも、長い長い歴史の背景があるのだ。【松井宏員】

わが町にも歴史あり・知られざる大阪165  幣原兄弟 門真市 2010年5月20日付「毎日新聞」より

 

わが町にも歴史あり・知られざる大阪164 幣原喜重郎 門真市 2010年5月13日付「毎日新聞」より

 

わが町にも歴史あり 知られざる大阪 163 幣原兄弟顕彰碑 門真市 2010年4月29日付「毎日新聞」より


「松下さん」の城下町 西三荘駅かいわい 門真市・守口市 2008年10月12日付「朝日新聞」 週間まちぶら第170号より